どっさり
日記ってさ、いつもいつも“今”のことを書くでしょ。
書いてる間はリアルタイムだけど、全部必ず過去になる。
過去になるのに、いつもいつもそこにあってしまうのは、怖いことだ。
今は思わないたくさんの気持ちが、どっさり積まれている私のクローゼット。
昔の彼へのリアルな愛の言葉から、バンドに対しての情熱に、いろんな人への愚痴や本音、やってしまった悪いことや、勢いだけで書いた冷静さのない殴り書き。
そんなの今の私にはみんなみんなない、過去なのに、今もそこにあるという不気味さ。
今は彼のこと好きじゃないんだよ、なのに言葉がそこにあるんだよ。
今はバンドしたくなんかないんだよ、なのにロックがどうってめっちゃ書いてる。
日記を書くことはオススメ出来ない。
たれみたいに何でも感でも素直に書いてしまうのは、本当に怖いことだ。
もし今、誰かがこのどっさりを全部読んだら、彼はたれのこと嫌う。
一人の人間の何年間にもわたる理屈なんて、わがまま以外の何でもない。
恋人に出会って、彼のことよく書いてる、だいたいが楽しいとか好きとかそんな内容をいろんな表現で。
でも、彼のことをいつまでもいつまでも好きでいる保証はないでしょ、だからふと思った。
今の私はもちろん、「忘れたのに言葉だけがそこにある」なんて思いたくないじゃない。
私が日記を書いてることに、メリットやポジティブ要素はない。
本当にない。
記憶だけでいいんだ。
毎日毎日自分のことストーキングするみたいに詳しく詳しく書き並べてさ、わたし気持ち悪。
忘れるな的自虐行為に当たる気がした。
辞めたい。
辞めれるならねぇ。
自分の生きた毎日を記録して、それで一体なんなんだ、彼に気持ちが伝わる訳でもないし、一体なんなんだ、って思ったら泣けてくる。
いつか環境が今とは離れたとき、日記は残ってない方がいい気がした。
その時の私は、過去の私をある意味他人と思うからだ。
辞めれるならねぇ、辞めたいねぇ。
でも、ずっとずっと続けていると、“記録しないという術”を持たなくなる。
“今”はいつもいつも素晴らしいから、“今これを残したい気持ち”に打ち勝つ方法を知らない。
たれが死んだら見てもらいたい発言撤回します。
たれが死んだらどっさりも道連れ。
書いてる間はリアルタイムだけど、全部必ず過去になる。
過去になるのに、いつもいつもそこにあってしまうのは、怖いことだ。
今は思わないたくさんの気持ちが、どっさり積まれている私のクローゼット。
昔の彼へのリアルな愛の言葉から、バンドに対しての情熱に、いろんな人への愚痴や本音、やってしまった悪いことや、勢いだけで書いた冷静さのない殴り書き。
そんなの今の私にはみんなみんなない、過去なのに、今もそこにあるという不気味さ。
今は彼のこと好きじゃないんだよ、なのに言葉がそこにあるんだよ。
今はバンドしたくなんかないんだよ、なのにロックがどうってめっちゃ書いてる。
日記を書くことはオススメ出来ない。
たれみたいに何でも感でも素直に書いてしまうのは、本当に怖いことだ。
もし今、誰かがこのどっさりを全部読んだら、彼はたれのこと嫌う。
一人の人間の何年間にもわたる理屈なんて、わがまま以外の何でもない。
恋人に出会って、彼のことよく書いてる、だいたいが楽しいとか好きとかそんな内容をいろんな表現で。
でも、彼のことをいつまでもいつまでも好きでいる保証はないでしょ、だからふと思った。
今の私はもちろん、「忘れたのに言葉だけがそこにある」なんて思いたくないじゃない。
私が日記を書いてることに、メリットやポジティブ要素はない。
本当にない。
記憶だけでいいんだ。
毎日毎日自分のことストーキングするみたいに詳しく詳しく書き並べてさ、わたし気持ち悪。
忘れるな的自虐行為に当たる気がした。
辞めたい。
辞めれるならねぇ。
自分の生きた毎日を記録して、それで一体なんなんだ、彼に気持ちが伝わる訳でもないし、一体なんなんだ、って思ったら泣けてくる。
いつか環境が今とは離れたとき、日記は残ってない方がいい気がした。
その時の私は、過去の私をある意味他人と思うからだ。
辞めれるならねぇ、辞めたいねぇ。
でも、ずっとずっと続けていると、“記録しないという術”を持たなくなる。
“今”はいつもいつも素晴らしいから、“今これを残したい気持ち”に打ち勝つ方法を知らない。
たれが死んだら見てもらいたい発言撤回します。
たれが死んだらどっさりも道連れ。