chりstまs
天皇誕生日がクリスマスイブの前日であるとゆう当たり前で今まで生きてきて、もちろん今日は休日だったわけで、それはかなりいいタイミングの祝日だなぁと思うけど、時代が平成じゃなくなったらまたその当たり前はなくなってしまうんだなぁ。
Hai!
今日は恋人の部屋のPCから書いてますます。
お久しぶりです。
いや別に久しぶりlongtimenoseeじゃないけど、毎日書いてるもんですから、いつもの頻度より少しでも間が空いてしまうと、ロングタイムノーシーなんて思っちゃうよね。
おとといから忙しくて日記書かずに寝てしまいましたが。
今日は小さいときからの夢がひとつ叶いました。
ホームパーティーとゆうやつであります。
たった一日の為に、部屋を折り紙の輪で出来た飾りと、カラフルな風船とツリーとその他もろもろで飾りつけて、楽しかった。
蔦谷でクリスマスのオムニバスを多分4枚ほど借りた。
いつか母親になっても、まだ見ぬ子供の為に変わらずこうゆう楽しみは作ってゆきたいと思ったりしてました。
眠いので少し文章がおかしいですが、意味自体はそのままなんで、頑張って読んでくださいまし。
あとはまだまだ近い過去であるような幼き自分には考えられないようなプレゼントを、つまりUSJの1dayパスを、あんこにプレゼントしたり、そのことによって「あーつい最近までミミズとかカエルが大好きだった5歳くらいの自分だったのに、USJのパスなんてプレゼントしちゃうし、免許もあるし車もあるし運転できるし、5歳の私から見て今の私は大人以外のなんでもないなぁ。あーでもね、まだまだ何も知らないんだよ。でも君はそれよりもっと知らないから、私が何も知らないことすらわかんないんだよね。大人なんてわかんないよ。」なんて15年も前の空にメッセージを送ったような気であんこに「すごいね。」なんて言ってた。
楽しかったなぁー。
誕生日とUSJ企画とホームパーティーで、私の冬のイベント前半は終わりです。
年末年始はまぁ適当にすごします。
二十歳になったことは関係ないと思うけど、今年一年でかなり自分が変わったと思う。
てゆうか去年もそう思ったけど。
私ばかだなぁー笑
時間が過ぎてるんだから変わることなんて当たり前なのに2008も2007も年末に「変」を語る。
当たり前だろうよーうほーい。
私が今「夢だなぁ。」と考えてるように、3年後に海外に発つことができて、帰国時にお迎えにくる面子があんこや恋人である当たり前の妄想は、今だからそう今だから思うのであって、3年後なんて何があるのか。
神様が本当に存在してたってわかんないのよね。
だけどまあ無限にある可能性の中のたったひとつであることは確か。
それは帰国時の空港とゆう場面の話に限ったことではなく、無限のシーンに無限の可能性があるとゆうことなのだーーーーー。
しかしまぁあれかこれかと考えても、その中で私が不安に思うのは全部未来に関することなので、考えたって悩んだって、今の私が思うことですから、結局わからない未来にはなんの接続もしない。
ふふん♪
私は今まで基本的には自分のやりたいように物事を通ってきて、他人の言うことは本当にただの参考で、後悔がつきまとうかどうかなんて考えるまでもなく、ただただ自分のしたいようにやってきた。
だから他人の言うことはだいたいが私にとって教科書である。
教科書の内容なんて人生でどれほど覚えているだろうかとゆう、そんな感じ。
だから例えば私が誰かにアドバイスとか意見とかを述べるならば、それこそ他人として述べているので、その誰かにとって私の口からでていくものは多分意味なんてないんじゃないかなぁと思う。
なぜなら自分に降りかかる他人の意見は私にとって“その程度”なので、そんな自分が他人にいう意見なんて、きっとそれ以下かもしれない。とか思った。
どんなに温かい世界で温かい人の温かい心に囲まれていようと、どんなにそれを実感しようと、悲しいことを乗り越えるのは自分以外の誰でもないんだよ。
なんかエラソーに、すみませんm(__)m
意味の有無は難しいけど、意味がないもの意味があるもの、自分の中でそのときそのときでいいから分けていないと、全てが同じだと無になってしまうような気がして怖いんだよな。
うーん
ひとりの人として何かを考えるとか、誰かを好きになるとか、それって一体どうゆうことなんだろうか。
私が私であること、彼が彼であること、あの人があの人であること、60億人も生きていること、ロックスターもノーベル受賞者も皆同じだよな。
私はどうして私なんだろうって最近よく考える。
だけど私として好きな人がいっぱいいて仕事もあって充実してて一応夢もあって、そうゆう現実と自分が自分であるとゆう疑問が隣り合わせで、忙しいねぇー。
現実は現実で、仏教とかに頼らないと迷いそうな疑問があるから素敵だし、答えのない疑問だってそれはそれは素敵であって。
うーん、素敵な1枚の紙だね。
裏も表も。
♪見上げたらヒコーキ雲明日へと消えた
YUIいいなぁー(*^^*)
Hai!
今日は恋人の部屋のPCから書いてますます。
お久しぶりです。
いや別に久しぶりlongtimenoseeじゃないけど、毎日書いてるもんですから、いつもの頻度より少しでも間が空いてしまうと、ロングタイムノーシーなんて思っちゃうよね。
おとといから忙しくて日記書かずに寝てしまいましたが。
今日は小さいときからの夢がひとつ叶いました。
ホームパーティーとゆうやつであります。
たった一日の為に、部屋を折り紙の輪で出来た飾りと、カラフルな風船とツリーとその他もろもろで飾りつけて、楽しかった。
蔦谷でクリスマスのオムニバスを多分4枚ほど借りた。
いつか母親になっても、まだ見ぬ子供の為に変わらずこうゆう楽しみは作ってゆきたいと思ったりしてました。
眠いので少し文章がおかしいですが、意味自体はそのままなんで、頑張って読んでくださいまし。
あとはまだまだ近い過去であるような幼き自分には考えられないようなプレゼントを、つまりUSJの1dayパスを、あんこにプレゼントしたり、そのことによって「あーつい最近までミミズとかカエルが大好きだった5歳くらいの自分だったのに、USJのパスなんてプレゼントしちゃうし、免許もあるし車もあるし運転できるし、5歳の私から見て今の私は大人以外のなんでもないなぁ。あーでもね、まだまだ何も知らないんだよ。でも君はそれよりもっと知らないから、私が何も知らないことすらわかんないんだよね。大人なんてわかんないよ。」なんて15年も前の空にメッセージを送ったような気であんこに「すごいね。」なんて言ってた。
楽しかったなぁー。
誕生日とUSJ企画とホームパーティーで、私の冬のイベント前半は終わりです。
年末年始はまぁ適当にすごします。
二十歳になったことは関係ないと思うけど、今年一年でかなり自分が変わったと思う。
てゆうか去年もそう思ったけど。
私ばかだなぁー笑
時間が過ぎてるんだから変わることなんて当たり前なのに2008も2007も年末に「変」を語る。
当たり前だろうよーうほーい。
私が今「夢だなぁ。」と考えてるように、3年後に海外に発つことができて、帰国時にお迎えにくる面子があんこや恋人である当たり前の妄想は、今だからそう今だから思うのであって、3年後なんて何があるのか。
神様が本当に存在してたってわかんないのよね。
だけどまあ無限にある可能性の中のたったひとつであることは確か。
それは帰国時の空港とゆう場面の話に限ったことではなく、無限のシーンに無限の可能性があるとゆうことなのだーーーーー。
しかしまぁあれかこれかと考えても、その中で私が不安に思うのは全部未来に関することなので、考えたって悩んだって、今の私が思うことですから、結局わからない未来にはなんの接続もしない。
ふふん♪
私は今まで基本的には自分のやりたいように物事を通ってきて、他人の言うことは本当にただの参考で、後悔がつきまとうかどうかなんて考えるまでもなく、ただただ自分のしたいようにやってきた。
だから他人の言うことはだいたいが私にとって教科書である。
教科書の内容なんて人生でどれほど覚えているだろうかとゆう、そんな感じ。
だから例えば私が誰かにアドバイスとか意見とかを述べるならば、それこそ他人として述べているので、その誰かにとって私の口からでていくものは多分意味なんてないんじゃないかなぁと思う。
なぜなら自分に降りかかる他人の意見は私にとって“その程度”なので、そんな自分が他人にいう意見なんて、きっとそれ以下かもしれない。とか思った。
どんなに温かい世界で温かい人の温かい心に囲まれていようと、どんなにそれを実感しようと、悲しいことを乗り越えるのは自分以外の誰でもないんだよ。
なんかエラソーに、すみませんm(__)m
意味の有無は難しいけど、意味がないもの意味があるもの、自分の中でそのときそのときでいいから分けていないと、全てが同じだと無になってしまうような気がして怖いんだよな。
うーん
ひとりの人として何かを考えるとか、誰かを好きになるとか、それって一体どうゆうことなんだろうか。
私が私であること、彼が彼であること、あの人があの人であること、60億人も生きていること、ロックスターもノーベル受賞者も皆同じだよな。
私はどうして私なんだろうって最近よく考える。
だけど私として好きな人がいっぱいいて仕事もあって充実してて一応夢もあって、そうゆう現実と自分が自分であるとゆう疑問が隣り合わせで、忙しいねぇー。
現実は現実で、仏教とかに頼らないと迷いそうな疑問があるから素敵だし、答えのない疑問だってそれはそれは素敵であって。
うーん、素敵な1枚の紙だね。
裏も表も。
♪見上げたらヒコーキ雲明日へと消えた
YUIいいなぁー(*^^*)