夕暮れの井ノ頭公園でコーラの空き缶蹴飛ばして。

なんだかセンチメンタル。
まだ21年と5ヶ月くらいしか生きてないけど、それでも今までずっと予想にしてないことばかりが起こって、でも生きているからそれらを受け止めるまでもなくなるようになっていって、今私は、兵庫センイソックスで一応アパレルっぽい仕事をしながら、セブンイレブンでバイトをしながら、週末は恋人と過ごして生きている訳で。
1年という時間なんて、実感ではそんなに長くないのだなということにもようやく慣れてきたけど、また去年の5月と同じ季節が巡って、去年とか一昨年の5月が普通に生活しているだけで見えたり匂ったりする。
戻りたいも悲しいも何も思わないけれど、忘れ物をしているような気がするようなしないようなするような。
1年前も確かに今のように今を過ごしていた正に「閃光少女」だったけど、過ぎれば過ぎるほど、全く思い出せなくなっていく。
恋人の友達は今日東京事変を見に行ってるらしい。
適当に「いいなぁ〜」と私は言う。
特に何でもないように「別に」と彼は言う。
向井秀徳は言う、♪だんだん記憶が妄想に変わってく。
本当にそうだと思う。
今日は早めに「またね」をしたので、高速には乗っからずに、一般道で帰ってきました。
神戸からずーっと、西に向かって、国道2号線を走って。
昔は無かった建物が在って、昔は在った建物が無くて。
スターダンスにはあのときの自分がいるような気がもうしなくなっていることにも気付いた。
今まで自分が入ったことがある建物や、居たことがある場所。
2号線を走っていて、それら全部が見える気がした。
思い出を思い出せなくなるのがすごく嫌で、毎日毎日何をしてどう思ってどう考えて風の向きや冷たさや匂いや、書いてきていたのだが、もう思い出せなくても悲しくなくなってきた。
思い出せなくて当たり前になってきた。
結構無駄なことを覚えていたりするのは、毎日一日の出来事をイメージから文章に変換して書いて残すという作業を絶やしてないからなんだと思う。
だから久しぶりに下道を走るだけで、何もかもが帰ってくるのだと思う。
今はもうバンドはしてないし、それに対して執着もないのだけれど、私の好みの音楽は、もう本当に自分の癖というか、体の一部ではないけど、体に張り付いて剥がれないような、ああ、つまりは一部なのかもしれないが、うん、そんなものになってしまっている。
家の猫や犬を触ったり、返答がない彼らとの会話を一人で成り立たせていたり、おいしいものを好きなだけ食べたり、走ったり、お風呂に入ったりしても、吐き出しきれてないものがあって、わからない人にはばかみたいに見えるかもしれないけど、歌うことは本当に好きだし気持ちがいいです。
バンドを辞めてもボイトレを辞めない理由なんか全然なくて、辞める理由がないから辞めないだけで、だから時が過ぎていくだけで、特別な人間でもないのに歌というものが離れなくなっていく。
だからってどうというわけでもないんですけど。
長々と書いても、別にどうって訳じゃない。
ただ、ひとりで歌っているだけで、どっとたくさん記憶が返ってきたりする。
そのときに本当に何の感情もない涙が目の奥に熱く溜まるのだ。
これは切ないってやつなのだろうか。
全くわからないし、気にもならないのだ。
気にはならないが、私は恨んでいる。
ずっと根に持ったまま、ずっと手を振っている。
気にはならないが。
感じることの何もかもが昔よりも色が薄くなって掴みどころもなくなってきている。 
今日、死にかけの雛鳥を眺めて思った。
死ぬ鳥が死ぬ。
しているからしている。
全ての物事は、そうだからそうなのであって、それ以上も以下もないと思うのだ。
それだけ、だ。
でも、冷めている訳ではないと思うんだ。
深く考えなくても最低限以上のある程度のことは勝手に口から出て行ってくれる。
毎日淡々とすべきことをちゃんとこなして、軽く軽く生きていたい。
目標がないだとかつまらない人生だとか言われても、それは私の生活の良さとか味がわかってないだけだと思います。
まあ、そんなこと言う時代遅れな人、もういないけど。

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